サッカー日本代表ワールドカップへの道程
第1回ワールドカップ開催にあたり、開催地が南米であることから欧州勢が相次いで不参加を表明。これに対してFIFAは加盟国に招待状を送ったが、当時の日本国内は、1927年の昭和金融恐慌以来慢性的な不況であったところに、同年の昭和恐慌発生でさらに経済状態が悪化しており、日本サッカー協会自身も財政難であったこともあり参加を見送った。
1938年のフランス大会予選にエントリー、オランダ領東インドとの直接対決に勝てば本大会出場が決まる筈だったが、折からの情勢不安により参加が辞退された。
戦後、FIFAへの復帰が認められると、1954年のスイス大会で、初めてワールドカップアジア予選に参加する事が出来たものの、韓国代表との一騎打ちとなった最終予選で、本来ホーム&アウェイ方式で行うはずが、韓国が李承晩大統領の意向で自国開催を拒否したことにより2試合とも東京で開催するというアドバンテージがあったにもかかわらず、その2試合とも敗れ出場を逃す。その後も、1950年代から60年代の日本はアマチュアリズム全盛の時代で、ワールドカップの意義、ワールドカップに出場する意義について理解していたとは言いがたく、また東京オリンピックを目指して強化を進めていた時期も重なり、ワールドカップよりもオリンピックに重点が置かれ、予選参加と辞退を繰り返す状態だった。
1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得し、メダル獲得の目的を達成した事で、次の目標としてワールドカップ出場にも関心が向く様になり、1970年 メキシコ大会以降、継続的に予選に参加する様になったが、オーストラリアやイスラエル(当時はアジア地区予選参加)といった国の前に屈しアジア予選での敗退が続く事になった。この時期も依然としてサッカー界にはアマチュアリズムの精神が色濃く残り、ワールドカップはオリンピック前のチーム育成の一環として捉えられる事が多く、またテレビ放送やサッカー雑誌によってワールドカップの紹介がなされる様になったものの、選手もファンも、ワールドカップはあくまでもテレビで観戦する物、違う世界の出来事と言う認識だった。
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日本にとって遠い道程であるワールドカップが身近な物となったのは1986年メキシコ・ワールドカップ予選の活躍にあるだろう。1次予選を1位で通過すると、2次予選では香港を破り、最終予選となる韓国戦へと駒を進めた。しかし第1戦ホームでは10番木村和司のFKが決まるも1-2で惜敗。ソウルでの第2戦も0-1で敗れ本大会出場を逃す事となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
今回のワールドカップは出られますね。がんばってほしいです。